13.動的原理としての心(マインド)

情報の自己組織化は生命の自己組織化の一側面であり、情報が生み出すゲシュタルト
生命のゲシュタルトである。それらは、他の自己創出システムのダイナミクスが生みだす
ゲシュタルト同様、自律的だ。またそれらには、現実を独自の象徴的表象世界のなかに
移しかえ、自分の世界を現実から解き放す能力がある。現実を変質させ、再構築することが
できるのである。自己組織化する実用情報は、システム外部のエネルギーや物質の
プロセスと干渉し、調整され、システム内で構造化されていく。


「物質を越える心」というおなじみの表現は、この種の心が属する物質/エネルギーシステム、
つまり脳が範疇外に置かれるときのみ正しいと言える。人間の心は非生命世界を制御し、
ある面では生命世界をも制御するが、生態系の心はその構成員を支配するものではない。
ちょうどアリたちの調整されたダイナミクスがアリのコロニーの〈心〉であるように、
その構成員が示すダイナミクスこそ生態系の〈心〉にほかならない。制御(コントロール)とか
支配とは、ニ言論的な概念である。そこにはいつも制御する者とされる者がいる。
しかし〈心〉とは物質のダイナミクスをとおして心自身を表明するものであり、物質と分けて
ニ言論的に考えることはできない。


こうした見方をすると、心(マインド)も自己組織化ダイナミクスの範疇に入るということになる。
それは散逸的自己組織化が進むところならどこにでも現われ、とりわけミクロシステムであれ
マクロシステムであれ、生命の全領域、全レベルに生ずるものだ。ただし代謝段階の心(メタボリック・
マインド)と神経段階の心(ニューラル・マインド)は区別しておくべきで、後者はさらに
そのダイナミクスの種類によって細分化が可能である。


心とは固定した空間構造のなかに内在するのではなく、システムが自己組織化し自身を再新させ
進化させるプロセスのなかに内在するものなのだ。平衡構造には心がない。英国人人類学者
グレゴリー・ベイトソンは、サイバネティック・システムの心とは環境との動的関係をも含む
自己調節そのものだと述べたが、ここに述べている考えも彼の見解と非常に近い。このように、
心とはその自己創出構造の範囲を超えて、他のシステムや、さらに一般的に言えば環境との
相互作用をも含みこむ。仏教もまた、このような心のプロセス的本質を看破しており、
心を現わす当のシステムを超えて「経験の原初的連続体」を形成しているとした。